「なぜなら、律法をことごとく守ったとしても、その一つの点にでも落ち度があれば、全体を犯したことになるからである。」ヤコブ2:10
律法は人間の弱さを考えない。律法は決して変わらない。いつも同じだ。父になる神と同じ、決して変わらない。だから、これを分かって瞬間に自分の罪をすぐ気がついた。そして、自分で絶対に自分を救えないも気がついた。そうなら、命の無駄も分かって、救い主が必要のも分かる。その無駄な命の希望はイエス・キリストだけにあります。だから、律法を従ってるのことは私を救えなくて、イエス・キリストしかありません。
で、
律法は死。
イエスは命。永遠の命。
Archive for the ‘QuietTime’ Category
律法と福音
Posted in Blog posts, QuietTime, tagged ヤコブ, James on December 2, 2009 | Leave a Comment »
詩篇19、20、21
Posted in Blog posts, QuietTime, tagged 詩篇, Psalms on November 12, 2009 | Leave a Comment »
「主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。」詩篇19:7-9
基本的に、クリスチャンっていうことは主と共に歩いて、主のみ言葉を従っている。詩篇19:11そう書いた:「これらを守れば、大いなる報いがある。」
「ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらは、われらの神、主のみ名を誇る。」詩篇20:7
意味はちょっと違いますね。「誇る」っ法が好きが。ただ「信じる」じゃなくて、主のみ名を誇るっていうことなんて。なんかもっと堂々だと思います。われらの神はそんな神なんですっていう感じだよね。
「あなたは彼の心の願いをゆるし、そのくちびるの求めをいなまれなかった。」詩篇21:2
「王は主に信頼するゆえ、いと高き者のいつくしみをこうむって、動かされることはない。」詩篇21:7
ただ、主に信頼するが十分です。しかし、私は時々自分に信頼して、主を忘れちゃいます。本当にもうしわけません。
神っては本当にいるの?
Posted in Blog posts, QuietTime, tagged 詩篇, Psalms on October 31, 2009 | Leave a Comment »
1 愚かな者は心のうちに「神はない」と言う。彼らは腐れはて、憎むべき事をなし、
2 善を行う者はない。主は天から人の子らを見おろして、賢い者、神をたずね求める者があるかないかを見られた。
3 彼らはみな迷い、みなひとしく腐れた。善を行う者はない、ひとりもない。
4 すべて悪を行う者は悟りがないのか。彼らは物食うようにわが民をくらい、また主を呼ぶことをしない。
5 その時、彼らは大いに恐れた。神は正しい者のやからと共におられるからである。
6 あなたがたは貧しい者の計画をはずかしめようとする。しかし主は彼の避け所である。
7 どうか、シオンからイスラエルの救が出るように。主がその民の繁栄を回復されるとき、ヤコブは喜び、イスラエルは楽しむであろう。
-詩篇14-
「神はいない」と言う者は愚かな者だ。ちょっと厳しいと思わない?しかし、それは事実です。人間は信じなくても神は存在しま す。では、どうして人間は神の存在を信じませんか?たぶん自分の自由がほしいかもしれません。誰にも答えたくないから、神を信じません。もし、神は本当に 存在なら、もし神に信じれば、神の標準を従わなきゃいけないでしょう?だから、もし神はいなければ、憎むべき事などできるようになりました。
し かし、ある日、神の審判を向かわなきゃいけません。信じるかどうかかまいません。みなある日向かわなきゃいけません。あの日、大いに恐れたが、遅すぎまし た。でも、シオンから救い主が出ます。その救い主は神の唯一の子、イエス・キリストです。「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。 それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)
信じますか?神の存在は。早く決めてください。時間がありませんから。
主の霊に自由です
Posted in Blog posts, QuietTime, tagged 2 Corinthians, コリント人への第二 on October 28, 2009 | Leave a Comment »
「主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。」ー2コリント人3:17
私の自由は勝手に自分がやりたいことをやるっていうことじゃない。私の自由は主の霊があるのです。だから、自由っていうのは主から受けた自由です。しかし、この自由は罪を続く許可ではなく、罪から逃げる自由です。そうしたら、また罪をしないとことですね。でも、私はまだ罪をしちゃって、たぶん本当に主の自由を受けませんか?本当に主の自由をわからないか?たぶん時々自分のやり方が欲しいだけかもしれません。
あっ、自分でがんばりなくて、霊なる主の働きですね。18節そう書いた:「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」そうなら、御霊に満たされます。御霊に満たされたら、本当の自由が受けますから。
主を頼み
Posted in Blog posts, QuietTime, tagged エレミヤ, 詩篇, Jeremiah, Psalms on October 8, 2009 | Leave a Comment »
主はこう言われる、「おおよそ人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、その心が主を離れている人は、のろわれる。彼は荒野に育つ小さい木のように、何も良いことの来るのを見ない。荒野の、干上がった所に住み、人の住まない塩地にいる。おおよそ主にたより、主を頼みとする人はさいわいである。彼は水のほとりに植えた木のようで、その根を川にのばし、暑さにあっても恐れることはない。その葉は常に青く、ひでりの年にも憂えることなく、絶えず実を結ぶ」。-エレミヤ17:5-8
心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである」。-エレミヤ17:9-10
エレミヤはきれいに書いた、荒野の小さい木と水のほとりに植えた木にたいしてた。二つは日と夜ように違う。一つは乾き、なかなか生きてる。他方で、命の絵、実を結んで生きてる。これは主を頼みと自分を頼みの違い。私の人生にこの違いはよく見える。主から遠いなら、すべてつまらなくなって、ただすべきことをするということだ。主を頼んだら、ミニストリーは楽しくなって、もう少し頑張れるようなことだ。
おおよそ主にたより、主を頼みとする人はさいわいである。-エレミヤ17:7
主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。-詩篇127:1
Taste the Source!
Posted in Blog posts, QuietTime, tagged ヨハネ, John on September 8, 2009 | Leave a Comment »
「しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。」-ヨハネ4:14
わがの主がここで言ったの絵は、ただ簡単な泉じゃないが、あふれる噴泉です。御霊に「満たされて」(エペソ5:18)続ければ、イエス様とのバイタル関係の甘さはあなたにあげるように溢れます。もしイエス様の命はあなたから溢れなければ、あなたの責任です。何かこの流れを止まっています。イエス様は泉の元が中心にとって、自分の祝福のためにすると言いましたか?違います。泉の元を中心してるのは「生ける水が川となって流れ出る」のためにー抑え難い命(ヨハネ7:38)。
我々はイエス様が使える噴泉になるべき、「生ける水が川となって」。しかし、我々の中で、死海のようです。いつも受けてが、何もあげません。イエス様との関係は正しくないからです。イエス様から祝福をもらえば、必ず祝福を我々から流れ出ます。もし祝福の受けると流れ出るの量は違ったら、イエス様との関係は問題があります。
実を結ぶことができるように
Posted in Blog posts, QuietTime, tagged ヨハネ, John on August 20, 2009 | Leave a Comment »
「わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。」ー ヨハネ15:4
イエス様につながっていることはいったい何のことでしょうか?イエス様につながっていることはイエス様が自分のホテルじゃなくて、家になることです。
リーダ
Posted in Blog posts, QuietTime, tagged 2 Chronicles, 歴代志下 on August 13, 2009 | Leave a Comment »
「主はヨシャパテと共におられた。彼がそのお父ダビデの最初の道に歩んで、バアルに求めず、その父の神に求めて、その戒めに歩み、イスラエルの行いにならわながったからである。」ー 歴代志下17:3、4
「そこで彼は主の道に心を励まし、さらに高き所とアシラ像とをユダから除いた。」ー 歴代志下17:6
「ヨシャパテは父アサの道を歩んでそれを離れず、主の目に正しいと見られることを行った。しかし高き所は除かず、また民はその先祖の神に心を傾けなかった。」ー 歴代志下20:32、33
ただ主の道に歩んだら不充分ですよね。ヨシャパテも高き所を除くべきでした。第17章にそうしたと思ったけど、たぶん時間が経って高き所を戻りました。高き所を除かなければ、ユダ人の心も主から離れました。だから、リーダにとしては、自分の心が主を従っているだけではない、弟子も導くべきです。
そうよ、リーダの責任はとても高いです。リーダだから、従ってる人を導いてべきです。もし私はリーダとして正しい方面へ行けば、よいです。でも、逆にしたら、大不幸です。だから、リーダのことはとても大事なことです。私は本当にそうできますか?私はそんなリーダですか?最近見てるドラマの「ロング・ラブレター」で浅海先生がよくわかる、彼の気持ち。災難があった時に、先生だから、一落ち着かなきゃ。生徒の前に強い面しか見せなかった。好きな相棒の前やっと楽にした。私は同じでしょう。他の人の前に強い面だけ見せて、神様の前に本の私にするですよね。でも、リーダはも人間ですよ。人間なら、もちろん弱い。人間なら、もちろん罪があります。でも、神様にはリーダは誰よりも責任があります。もしだめなら、リーダをしなくても方がいいって。
神様、私はあなたの弟子のリーダです。だから、神様の全てを従わなければなりません。それは当然ですね。でも、時々何もしたくないで、自分のことだけしたいです。時々あなたの道から逃げたいです。神様、私の心と態度を変わってください。あなただけできます。私は弱すぎますから。
一番大切のは。。。
Posted in Blog posts, QuietTime, tagged 2 Chronicles, 歴代志下 on August 6, 2009 | Leave a Comment »
「主の目はあまぬく全地を行きめぐり、自分に向って心を全うする者のために力をあらわされる。。。」 ー 歴代志下16:9
天の父、それはあなたの期待ですよね。我らがあなたに向って心を全うすることです。我らはいつもあなたに忠実するを期待をかけますね。簡単そうだけど、実際に難しいと思います。この世の誘惑は強いですよ。自分の意に叶うをとても誘っていますよ。でも、私はこの世にいるのに、この世の一部ではありません。私はこの世と違います。ノアのように、周り人は笑っているくせに、正しいことしかしないです。天の父はそれより大切ですから。全世界は私に笑ってもいいです。ただ私は天の父の前に無辜ならば、いいんです。
イエス様だけ仕え
Posted in Blog posts, QuietTime, tagged 2 Chronicles, 歴代志下 on August 5, 2009 | Leave a Comment »
「わたしの名をもってとなえられるわたしの民が、もしへりくだり、祈って、わたしの顔を求め、その悪い道を離れるならば、わたしは天から聞いて、その罪をゆるし、その地をいやす。」ー 歴代志下7:14
「しかし、あなたがたがもし翻って、わたしがあなたがたの前に置いた定めと戒めとを捨て、行って他の神々に仕え、それを拝むならば、わたしはあなたがたをわたしの与えた地から抜き去り、またわたしの名のために聖別したこの宮をわたしの前から投げ捨てて、もろもろの民のうちにことわざとし、笑い草とする。」ー 歴代志下7:19-20
当たり前じゃない?父になる神だけ唯一の神であり、天になる神だけ仕えます。しかし、私は神様のすべての定めと戒めを従わなかったですよね。毎日神様と時間はあまり守らなかったし、勝手に自分で人生を生きたいし。
天のお父さん、私はこれからそう約束します。今夜から始まります。毎晩と毎朝、これを祈っています:
「愛する神様、私はあなたを必要としています。私は今まで、自己中心の生き方をしていて、あなたに対して罪をおかしてきました。私の罪を赦してください。キリストが十字架にかかって死んでくださり、私の罪を赦してくださったことを感謝いたします。今、私は、もう一度、キリストが私の心の王座につき、私を支配してくださるよう願います。あなたの命令と約束にもとづいて、私を聖霊に満たしてください。あなたが、私を聖霊に満たしてくださったことを信じて、感謝いたします。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。」