「なぜなら、律法をことごとく守ったとしても、その一つの点にでも落ち度があれば、全体を犯したことになるからである。」ヤコブ2:10
律法は人間の弱さを考えない。律法は決して変わらない。いつも同じだ。父になる神と同じ、決して変わらない。だから、これを分かって瞬間に自分の罪をすぐ気がついた。そして、自分で絶対に自分を救えないも気がついた。そうなら、命の無駄も分かって、救い主が必要のも分かる。その無駄な命の希望はイエス・キリストだけにあります。だから、律法を従ってるのことは私を救えなくて、イエス・キリストしかありません。
で、
律法は死。
イエスは命。永遠の命。
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他の人の傷が自分に動ければ、どうする?動くか?動かないか?動ければ、他の人の傷が自分の傷になる。動かなければ、他の人の痛みを無視見たい感じ。何度もみんなの傷を治したいが、私は神じゃない。ただ人間だ。でも、イエス様はそうやったでしょう?全世界の罪が自分の罪のように、私たちのために死にました。そんな痛みは一生わかりません。
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November 12, 2009 by Lyca
「主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。」詩篇19:7-9
基本的に、クリスチャンっていうことは主と共に歩いて、主のみ言葉を従っている。詩篇19:11そう書いた:「これらを守れば、大いなる報いがある。」
「ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらは、われらの神、主のみ名を誇る。」詩篇20:7
意味はちょっと違いますね。「誇る」っ法が好きが。ただ「信じる」じゃなくて、主のみ名を誇るっていうことなんて。なんかもっと堂々だと思います。われらの神はそんな神なんですっていう感じだよね。
「あなたは彼の心の願いをゆるし、そのくちびるの求めをいなまれなかった。」詩篇21:2
「王は主に信頼するゆえ、いと高き者のいつくしみをこうむって、動かされることはない。」詩篇21:7
ただ、主に信頼するが十分です。しかし、私は時々自分に信頼して、主を忘れちゃいます。本当にもうしわけません。
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1 愚かな者は心のうちに「神はない」と言う。彼らは腐れはて、憎むべき事をなし、
2 善を行う者はない。主は天から人の子らを見おろして、賢い者、神をたずね求める者があるかないかを見られた。
3 彼らはみな迷い、みなひとしく腐れた。善を行う者はない、ひとりもない。
4 すべて悪を行う者は悟りがないのか。彼らは物食うようにわが民をくらい、また主を呼ぶことをしない。
5 その時、彼らは大いに恐れた。神は正しい者のやからと共におられるからである。
6 あなたがたは貧しい者の計画をはずかしめようとする。しかし主は彼の避け所である。
7 どうか、シオンからイスラエルの救が出るように。主がその民の繁栄を回復されるとき、ヤコブは喜び、イスラエルは楽しむであろう。
-詩篇14-
「神はいない」と言う者は愚かな者だ。ちょっと厳しいと思わない?しかし、それは事実です。人間は信じなくても神は存在しま す。では、どうして人間は神の存在を信じませんか?たぶん自分の自由がほしいかもしれません。誰にも答えたくないから、神を信じません。もし、神は本当に 存在なら、もし神に信じれば、神の標準を従わなきゃいけないでしょう?だから、もし神はいなければ、憎むべき事などできるようになりました。
し かし、ある日、神の審判を向かわなきゃいけません。信じるかどうかかまいません。みなある日向かわなきゃいけません。あの日、大いに恐れたが、遅すぎまし た。でも、シオンから救い主が出ます。その救い主は神の唯一の子、イエス・キリストです。「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。 それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)
信じますか?神の存在は。早く決めてください。時間がありませんから。
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「主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。」ー2コリント人3:17
私の自由は勝手に自分がやりたいことをやるっていうことじゃない。私の自由は主の霊があるのです。だから、自由っていうのは主から受けた自由です。しかし、この自由は罪を続く許可ではなく、罪から逃げる自由です。そうしたら、また罪をしないとことですね。でも、私はまだ罪をしちゃって、たぶん本当に主の自由を受けませんか?本当に主の自由をわからないか?たぶん時々自分のやり方が欲しいだけかもしれません。
あっ、自分でがんばりなくて、霊なる主の働きですね。18節そう書いた:「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」そうなら、御霊に満たされます。御霊に満たされたら、本当の自由が受けますから。
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“I have become all things to all men, that I might by all means save some”
—1 Corinthians 9:22
A Christian worker has to learn how to be God’s man or woman of great worth and excellence in the midst of a multitude of meager and worthless things. Never protest by saying, “If only I were somewhere else!” All of God’s people are ordinary people who have been made extraordinary by the purpose He has given them. Unless we have the right purpose intellectually in our minds and lovingly in our hearts, we will very quickly be diverted from being useful to God. We are not workers for God by choice. Many people deliberately choose to be workers, but they have no purpose of God’s almighty grace or His mighty Word in them. Paul’s whole heart, mind, and soul were consumed with the great purpose of what Jesus Christ came to do, and he never lost sight of that one thing. We must continually confront ourselves with one central fact— “. . . Jesus Christ and Him crucified” ( 1 Corinthians 2:2 ).
“I chose you . . .” ( John 15:16 ). Keep these words as a wonderful reminder in your theology. It is not that you have gotten God, but that He has gotten you. God is at work bending, breaking, molding, and doing exactly as He chooses. And why is He doing it? He is doing it for only one purpose— that He may be able to say, “This is My man, and this is My woman.” We have to be in God’s hand so that He can place others on the Rock, Jesus Christ, just as He has placed us.
Never choose to be a worker, but once God has placed His call upon you, woe be to you if you “turn aside . . . to the right or the left . . .” ( Deuteronomy 28:14 ). He will do with you what He never did before His call came to you, and He will do with you what He is not doing with other people. Let Him have His way.
(Source: My Utmost for His Highest, 25 October 2009)
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主はこう言われる、「おおよそ人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、その心が主を離れている人は、のろわれる。彼は荒野に育つ小さい木のように、何も良いことの来るのを見ない。荒野の、干上がった所に住み、人の住まない塩地にいる。おおよそ主にたより、主を頼みとする人はさいわいである。彼は水のほとりに植えた木のようで、その根を川にのばし、暑さにあっても恐れることはない。その葉は常に青く、ひでりの年にも憂えることなく、絶えず実を結ぶ」。-エレミヤ17:5-8
心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである」。-エレミヤ17:9-10
エレミヤはきれいに書いた、荒野の小さい木と水のほとりに植えた木にたいしてた。二つは日と夜ように違う。一つは乾き、なかなか生きてる。他方で、命の絵、実を結んで生きてる。これは主を頼みと自分を頼みの違い。私の人生にこの違いはよく見える。主から遠いなら、すべてつまらなくなって、ただすべきことをするということだ。主を頼んだら、ミニストリーは楽しくなって、もう少し頑張れるようなことだ。
おおよそ主にたより、主を頼みとする人はさいわいである。-エレミヤ17:7
主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。-詩篇127:1
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真実は痛いが、救います。
どこでも、誰にも、真実を伝えます。
現実は残酷が、イエスに希望があります。
希望はこの世にもない、
天国だけです。
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September 29, 2009 by Lyca
どうして近年以来若い人たちは言質がそんなに怖いなの?そして、小さいグループは本当にそんなに怖いの?どうして現在のクリスチャンはプライバシーが注意したの?神との関係は個人的なが、プライベートじゃないでしょう?だから、どうして?もちろん、小さいグループなら自分のよいと悪いことも他人に見せるが、これは聖書によると「fellowship」と「accountability」でしょう?
*息*
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September 18, 2009 by Lyca
今日はしばらく休日だよ。実は、今日と平日とどこか違うか?普通的だと思う。ではどうしてPersonal Retreatを取らなかった?たぶん今日自分のことをやりたいかな。一人でオーチャードロードを歩きたいかな。正直、私は毎日毎日一体何をしたの?来月曜日のPETは人数不足からキャンサルした。でも、2年前にどうしてEvanはできた?どうして今の学生たちは一日だけもあげない?なんか失敗の人間だと思うよ。全てはうまくできない。仕事も、教会も。なんか逃げたいよ。何もしないで、長い、長い旅をいきたいよ。でも、こうなら、どうやって自分で日本へ行くよ?全然わからない。
もう一つ一週間中なやんでいることはSarahとLoisのことだ。怒ってはなかった。ただ失望しただけだった。今もちょっと失望する。どうしてこうになっちゃったの?特にSarahのこと。私はどこかで間違ったの?どうやって直せばいいのかい?それともSheenaと言った通り、何もしないで、彼女たち自分で学ぶ。これで本当にいいのか?彼女たちのBS leaderとして正しい道へ導いてことは私の責任じゃないか?だからそのままにほっといってはだめでしょう?神様、今本当に放れての時ですか?日曜日にどうやって二人に伝えばいいなの?
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