1 愚かな者は心のうちに「神はない」と言う。彼らは腐れはて、憎むべき事をなし、
2 善を行う者はない。主は天から人の子らを見おろして、賢い者、神をたずね求める者があるかないかを見られた。
3 彼らはみな迷い、みなひとしく腐れた。善を行う者はない、ひとりもない。
4 すべて悪を行う者は悟りがないのか。彼らは物食うようにわが民をくらい、また主を呼ぶことをしない。
5 その時、彼らは大いに恐れた。神は正しい者のやからと共におられるからである。
6 あなたがたは貧しい者の計画をはずかしめようとする。しかし主は彼の避け所である。
7 どうか、シオンからイスラエルの救が出るように。主がその民の繁栄を回復されるとき、ヤコブは喜び、イスラエルは楽しむであろう。
-詩篇14-
「神はいない」と言う者は愚かな者だ。ちょっと厳しいと思わない?しかし、それは事実です。人間は信じなくても神は存在しま す。では、どうして人間は神の存在を信じませんか?たぶん自分の自由がほしいかもしれません。誰にも答えたくないから、神を信じません。もし、神は本当に 存在なら、もし神に信じれば、神の標準を従わなきゃいけないでしょう?だから、もし神はいなければ、憎むべき事などできるようになりました。
し かし、ある日、神の審判を向かわなきゃいけません。信じるかどうかかまいません。みなある日向かわなきゃいけません。あの日、大いに恐れたが、遅すぎまし た。でも、シオンから救い主が出ます。その救い主は神の唯一の子、イエス・キリストです。「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。 それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)
信じますか?神の存在は。早く決めてください。時間がありませんから。
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「主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。」ー2コリント人3:17
私の自由は勝手に自分がやりたいことをやるっていうことじゃない。私の自由は主の霊があるのです。だから、自由っていうのは主から受けた自由です。しかし、この自由は罪を続く許可ではなく、罪から逃げる自由です。そうしたら、また罪をしないとことですね。でも、私はまだ罪をしちゃって、たぶん本当に主の自由を受けませんか?本当に主の自由をわからないか?たぶん時々自分のやり方が欲しいだけかもしれません。
あっ、自分でがんばりなくて、霊なる主の働きですね。18節そう書いた:「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」そうなら、御霊に満たされます。御霊に満たされたら、本当の自由が受けますから。
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“I have become all things to all men, that I might by all means save some”
—1 Corinthians 9:22
A Christian worker has to learn how to be God’s man or woman of great worth and excellence in the midst of a multitude of meager and worthless things. Never protest by saying, “If only I were somewhere else!” All of God’s people are ordinary people who have been made extraordinary by the purpose He has given them. Unless we have the right purpose intellectually in our minds and lovingly in our hearts, we will very quickly be diverted from being useful to God. We are not workers for God by choice. Many people deliberately choose to be workers, but they have no purpose of God’s almighty grace or His mighty Word in them. Paul’s whole heart, mind, and soul were consumed with the great purpose of what Jesus Christ came to do, and he never lost sight of that one thing. We must continually confront ourselves with one central fact— “. . . Jesus Christ and Him crucified” ( 1 Corinthians 2:2 ).
“I chose you . . .” ( John 15:16 ). Keep these words as a wonderful reminder in your theology. It is not that you have gotten God, but that He has gotten you. God is at work bending, breaking, molding, and doing exactly as He chooses. And why is He doing it? He is doing it for only one purpose— that He may be able to say, “This is My man, and this is My woman.” We have to be in God’s hand so that He can place others on the Rock, Jesus Christ, just as He has placed us.
Never choose to be a worker, but once God has placed His call upon you, woe be to you if you “turn aside . . . to the right or the left . . .” ( Deuteronomy 28:14 ). He will do with you what He never did before His call came to you, and He will do with you what He is not doing with other people. Let Him have His way.
(Source: My Utmost for His Highest, 25 October 2009)
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主はこう言われる、「おおよそ人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、その心が主を離れている人は、のろわれる。彼は荒野に育つ小さい木のように、何も良いことの来るのを見ない。荒野の、干上がった所に住み、人の住まない塩地にいる。おおよそ主にたより、主を頼みとする人はさいわいである。彼は水のほとりに植えた木のようで、その根を川にのばし、暑さにあっても恐れることはない。その葉は常に青く、ひでりの年にも憂えることなく、絶えず実を結ぶ」。-エレミヤ17:5-8
心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである」。-エレミヤ17:9-10
エレミヤはきれいに書いた、荒野の小さい木と水のほとりに植えた木にたいしてた。二つは日と夜ように違う。一つは乾き、なかなか生きてる。他方で、命の絵、実を結んで生きてる。これは主を頼みと自分を頼みの違い。私の人生にこの違いはよく見える。主から遠いなら、すべてつまらなくなって、ただすべきことをするということだ。主を頼んだら、ミニストリーは楽しくなって、もう少し頑張れるようなことだ。
おおよそ主にたより、主を頼みとする人はさいわいである。-エレミヤ17:7
主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。-詩篇127:1
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真実は痛いが、救います。
どこでも、誰にも、真実を伝えます。
現実は残酷が、イエスに希望があります。
希望はこの世にもない、
天国だけです。
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September 29, 2009 by Lyca
どうして近年以来若い人たちは言質がそんなに怖いなの?そして、小さいグループは本当にそんなに怖いの?どうして現在のクリスチャンはプライバシーが注意したの?神との関係は個人的なが、プライベートじゃないでしょう?だから、どうして?もちろん、小さいグループなら自分のよいと悪いことも他人に見せるが、これは聖書によると「fellowship」と「accountability」でしょう?
*息*
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September 18, 2009 by Lyca
今日はしばらく休日だよ。実は、今日と平日とどこか違うか?普通的だと思う。ではどうしてPersonal Retreatを取らなかった?たぶん今日自分のことをやりたいかな。一人でオーチャードロードを歩きたいかな。正直、私は毎日毎日一体何をしたの?来月曜日のPETは人数不足からキャンサルした。でも、2年前にどうしてEvanはできた?どうして今の学生たちは一日だけもあげない?なんか失敗の人間だと思うよ。全てはうまくできない。仕事も、教会も。なんか逃げたいよ。何もしないで、長い、長い旅をいきたいよ。でも、こうなら、どうやって自分で日本へ行くよ?全然わからない。
もう一つ一週間中なやんでいることはSarahとLoisのことだ。怒ってはなかった。ただ失望しただけだった。今もちょっと失望する。どうしてこうになっちゃったの?特にSarahのこと。私はどこかで間違ったの?どうやって直せばいいのかい?それともSheenaと言った通り、何もしないで、彼女たち自分で学ぶ。これで本当にいいのか?彼女たちのBS leaderとして正しい道へ導いてことは私の責任じゃないか?だからそのままにほっといってはだめでしょう?神様、今本当に放れての時ですか?日曜日にどうやって二人に伝えばいいなの?
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September 14, 2009 by Lyca
村上春樹の「ダンス、ダンス、ダンス」はとても不思議な物語だと思う。いったいどういう意味なの?主人公は夢みたいに変なことを見た。あの夢を追いかけたうちにいろいろな変な人に会って、変なことをあった。ストーリーは悪いわけではないのに、意味がわからない。主人公は一般的な日本の男性じゃなかった。自分の特別な考え方とやり方があった。でも、そうやって生きてるなら、人生はとてもつまらないと思わない?たぶん結果はあの俳優五反田と同じー自殺しかない。
人ってさ、希望が必要だろう。金曜日にSOLEADのみんなにそう伝えたよ。この世はすっごく憂鬱なと思う。「僕の妹」にもそう言っただろう。さとこは生きてつづけた理由は希望が持ちってことなんだ。希望ってさ、人に生きてる意味をあげると思う。希望があれば、人生の意味もすぐわかるよ。私の希望は何?いつか神様に会えることですね。天国へ行けることですね。死んだら他の世界がある希望を持ってる。この世は終点ではない希望を持っている。私より大きい者がいる希望を持っている。すなわち、世界を創造された神、天の父になった神、救い主イエス・キリストでう。
“Knowing You, Jesus, knowing You. There is no greater thing.
You’re my all, You’re the best.
You’re my joy, my righteousness.
And I love You, Lord.” – Knowing You by Passion
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September 12, 2009 by Lyca
どうして痛いのか?どうして気になるのか?それは彼女の人生だろう?彼女が自身で選んだ人生だろう?ほっといってばいいんじゃない?でも、ほっといっていけない。矛盾だよ。
腹立ってじゃない、悲しいだ。そんなこと繰り返してみたから。
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September 8, 2009 by Lyca
「しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。」-ヨハネ4:14
わがの主がここで言ったの絵は、ただ簡単な泉じゃないが、あふれる噴泉です。御霊に「満たされて」(エペソ5:18)続ければ、イエス様とのバイタル関係の甘さはあなたにあげるように溢れます。もしイエス様の命はあなたから溢れなければ、あなたの責任です。何かこの流れを止まっています。イエス様は泉の元が中心にとって、自分の祝福のためにすると言いましたか?違います。泉の元を中心してるのは「生ける水が川となって流れ出る」のためにー抑え難い命(ヨハネ7:38)。
我々はイエス様が使える噴泉になるべき、「生ける水が川となって」。しかし、我々の中で、死海のようです。いつも受けてが、何もあげません。イエス様との関係は正しくないからです。イエス様から祝福をもらえば、必ず祝福を我々から流れ出ます。もし祝福の受けると流れ出るの量は違ったら、イエス様との関係は問題があります。
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